中神の獅子舞
東京都指定・無形民俗文化財
パート4

(1)日枝神社中神の獅子舞。
(2)宵宮の宿。
(3)獅子舞の発祥起原と由来。
(4)美しい道中。
(5)中神の獅子舞を検証する。
(6)熊野神社中神の獅子舞。
(7)中神の獅子舞千秋楽。

歴史ファイルへ戻る

平成17年4月18日午前9時
獅子の宿を提供した宿主に、御礼狂いをする、三匹獅子!
藤狂い

獅子の宿から熊野神社へゆっくり巡行します。
これを
道中と言います。

あれ!神主様がいる、聞いてないよ。

美しい道中

先頭にひょっとこ面のへい追いが先頭、
獅子の衣装など納める長持ち箱を背負って、
「ホーイ、ホイ!」とかけ声を掛けながら
ゆっくりと進みます。最近は
住宅事情で、太鼓を鳴らした方が、
道中、アピール度が高いようです。



道中の構成

ヘイ追い2名を先頭に
神社総代2名
獅子舞保存会・会長一名
剣士2・3名
棒使い4名
ささら摺り6名
獅子3頭
(最近は6頭)
笛と歌い手10数名


ひょっとこは昔、火男といって
竈(釜)の神様でした。
火は今でこそ簡単に付きますが、
昔は大変な作業でした。
火を絶やさないよう非番をすることが
日常的な習慣だった時代に
あんなひょうきんな顔をした
ひょっとこが神様だなんて
ちょっと以外です。
あの、とんがった口は火を噴くため、
だったのです。





権現様の化身・三匹獅子
中神熊野神社の創設時は(延文5年1360)熊野大権現と呼ばれていました。
さらに、さかのぼること4世紀、蘇我氏が渡来仏教を流布し、
大和の国に仏教を定着させました。その後、蘇我氏は滅ぼされましたが、
5世紀には、古来から信仰された神道と、
渡来した仏教を融合させてきました。(神仏集合)
神は本来、姿形を現世ではお見せにならない存在あり、
その化身として、仏と成って世のために仏教の教えを説くという考えです。
更に、獅子の姿となり、この世に現れた神の化身、権現様が
三匹獅子の大頭なのです。

日本神話に登場する神は極めて人間的であります。

三匹獅子12通りの舞も、それぞれ物語があり、狂います。

三匹獅子は奉納前日、山から里に下り、当地に来て宿に泊まり、
翌日宿より神社に向かう、これを中神では道中といいます。
三匹獅子舞、全ての物語は、宵宮から、始まるのです。

技楽から生まれた、日本の古典芸能!

612頃
  技楽渡来
690〜
750頃
 

舞楽(雅楽)
散楽渡来
(712古事記)

810頃
弘仁年間 舞楽再編
1008〜1020 源氏物語
1374
文中三年 足利将軍 能を保護奨励
1400頃
応永年間 能・狂言大成
1480頃
文明年間 浄瑠璃誕生
1560頃
永禄年間 三味線の輸入 流行
1595頃
文禄年間 人形浄瑠璃(文楽) 成立
1603
慶長八年 御国歌舞伎創始
伴奏音楽として
長唄が発生

道中、先頭が鳥居を潜りました。


棒使いとささら摺りの色彩が 可愛らしくて美しい。
小学生の少女が、ささら摺りを行ないます。

獅子舞、狂いの場では頭から花笠をかぶり、
東西南北にそれぞれ配置し、
地上に神聖な絶対的、宇宙を創り出す。
花笠は月・太陽・花を意味する。

大相撲の土俵と同じ意味を為します。

棒使いは男の子が演じます。
獅子舞の前後に演じられる棒使いにも
8種目の演目がある。


剣士三名、凛々しく登場!

桜吹雪と道中
熊野神社に向かって、男坂を上がっていく道中。
男坂は道中の時だけ開門される。
坂の手前あたりから獅子が,
いよいよ狂い込むのです。

そこで一句、
桜舞い風流(ふりゅう)の獅子に花舞台!



(1)日枝神社中神の獅子舞。
(2)宵宮の宿。
(3)獅子舞の発祥起原と由来。
(4)美しい道中。
(5)中神の獅子舞を検証する。
(6)熊野神社中神の獅子舞。
(7)中神の獅子舞千秋楽。

歴史ファイルへ戻る