中神の獅子舞
東京都指定・無形民俗文化財
パート1

(1)日枝神社中神の獅子舞。
(2)宵宮の宿。
(3)獅子舞の発祥起原と由来。
(4)美しい道中。
(5)中神の獅子舞を検証する。
(6)熊野神社中神の獅子舞。
(7)中神の獅子舞千秋楽。

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平成17年4月16日土曜日午後4時
福厳寺境内で春祈祷獅子舞が披露された。



日枝神社で、獅子舞披露!


続いて日枝神社に場所を移し、獅子舞を披露しました。

古来、中神の獅子舞は日枝神社が最初の舞台になる。
近年、福厳寺境内で最初の獅子舞を披露するようになった。


笛の吹き手方向からから獅子舞を鑑賞する。



中神の獅子舞は伊勢神宮太神楽に属する三匹獅子舞です。 
徳川時代1620年頃から徳川家臣団が獅子舞を支持奨励し、
関東から東北各地に獅子舞のプロ集団を漫遊させ、
農村に三匹獅子舞を定着させました。
一説によると徳川幕府の天下平定政策だったといわれています。

北条氏照は獅子舞好きだった。
戦国時代(1450年〜1590年)、
北条氏が関東一円を支配していました。
八王子城主・北条氏照は京都・宮廷で見た獅子舞を
大変に好んで観賞しました。
八王子城・御主殿では獅子舞を
出陣の儀式に取り入れ志気を高め、
戦勝祈願したと言われています。

つまり、徳川幕府獅子舞奨励以前から
八王子では獅子舞が盛んであったようです。
そうなると定説はいくぶん、覆されてしまうことになりますが・・・
筆者の考えではそのどちらの要素もあったと思います。
1590年まで北条氏照が八王子の獅子舞を少数地域に定着させ、
1620年頃から徳川家臣団が獅子舞を盛んに奨励し
一大ブームを起したということです。

そして、関東から東北にその風流(ふりゅう)系の
三匹獅子舞は広がりました。
獅子舞に付属した笛の節回しや歌は多少の違いがあるとしても
同技であるということが検証されています。

風流(ふりゅう)とは
室町末から江戸時代中期に定着した。
 風流系舞踊は、 民俗芸能 のかなりの部分をしめている。
この項で記す風流は、神踊り 童児踊り
風流と呼ばれる風流歌と踊りである。
 本来、風流とは、みやびやかなもの 風情のあるものをさしていた。
中世には「ふりゅう」と読んで、物語や和歌の心を
意匠化した風情あるつくりもの、祭礼に出るきらびやかな練りもの、
あるいは拍子物や歌謡を伴い、手振り美しい踊りをさすようになった。
すなわち、風流は意匠ある趣向そのものをさし、
風流と呼ぶ固有の芸能があったわけではなかった。
しかし、永正年間(1504〜21)に入ると、風流の趣向は
従となり踊りが主となってきた。
そして流行した小歌数首の組歌で、主に若者による風流踊りが成立した。
室町末より寛永期(1624〜43)にかけて念仏踊り 伊勢踊り 兵庫踊り
小原木踊り 飛騨踊り 小町踊り、などの流行が諸記録に見えている。



初めての獅子舞披露!

約、400年の伝統を受け継ぐ!
言葉でなく、魂の継承である。





三匹の若獅子が見事に狂う
(中神の獅子舞は舞のことを狂うと言います。)



笛の吹き手も若い後継者達で編成されている。


16日午後2時雨が降り出す。
午後4時から獅子舞は始まる。
雨は上がったとはいえ、少々天気が気になる・・・
佐久間 弘二・会長


(1)日枝神社中神の獅子舞。
(2)宵宮の宿。
(3)獅子舞の発祥起原と由来。
(4)美しい道中。
(5)中神の獅子舞を検証する。
(6)熊野神社中神の獅子舞。
(7)中神の獅子舞千秋楽。

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