満州国の成立

昭和7年〜20年(1932〜1945)の間、満州(現在の中華人民共和国
東北地区および内モンゴル自治区北東部)に存在した国でした。
満州民族の立てた王朝であった清の最後の皇帝、愛新覚羅溥儀を元首とし、
満州民族と漢民族、モンゴル民族からなる「満州人」による
民族自決の原則に基づいた国民国家であることを理念としました。

しかし実際には、1931年の満州事変によってこの地域を占領した
日本の政府・軍の強い影響下にあり、当時の国際連盟加盟諸国は、
「満州国は日本の傀儡政権であり、満州地域は中華民国の主権下にある」とする
中華民国の立場を支持して日本政府を非難しました。
このことが1933年に日本が国際連盟から脱退する主要な原因となり、
第二次世界大戦の日本の敗戦、旧ソビエト連邦の侵攻によって満州国が解体されました。

旧ソビエト連邦から中国共産党の支配地域となると、
この地域において独立を宣言した満州国は断罪の対象となり、
戦後の中華人民共和国では、偽満州国(あるいは省略して偽満)と呼ばれていました。

映画ラストエンペラーでは愛新覚羅溥儀の目から見た満州国の建国から
滅亡までを映画のストーリーとして取り入れています。




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